見えるものだけ見ていたい

観劇した舞台や応援している若手俳優について思うところをつらつらと書いていこうと思います。すべて、本当にすべて主観です。

舞台「Take Me Out」再演を浴びた2018春


いやぁ浴びた。浴びましたよ。
TMO再演最高でした。
一昨年の公開稽古を観た時から私の一番特別で大好きな作品です。

初演は特に考察とかせずただ傍観していただけだったんですが、再演で新たに加わったラストによって考察オタクの血が騒ぎました。

考察したからどうするって訳でもないんですが、せっかくなのではてブロに残しておこうと思います。

しかしこれ書いたのそこそこ前なんですが、すでに解釈が変わってます。

過去の自分と解釈違い起こして焦ります。

書いてる時って自分なりに確信もって書いてるのに、ちょっと寝かすと「誰だオメェは!?!」ってなりますよね。

だからこそ文字にしとくんてすけど。




※メリバ大好きオタクなので考察がそっち方向に向かいます。あくまでも主観です。


○最後の「悲劇だった」について

 震えながらしゃがみこむほどの悲劇ってなんだろうって考えると、あの時先にパーティーへ行ったダレンに何かあって、ダレンが亡くなったのかなと思った。

それでメイソンは「あの時先に行かせなければ」と後悔して飛び降り自殺?した結果、そこでメイソンも死んで、あの世でダレンが上から飛んできたメイソンを受け止めたのかなと予想。

なぜ飛び降りかというと、冒頭で「あんまり舞い上がりませんように」と神様に願い、実際そこまで舞い上がった態度を表に出さなかった玉置メイソン。

良知メイソンは「キャー!!!ダレン!?アッゴメンナサイッ!!!」みたいになりながら書類ぶちまけてダレンに拾ってもらうの手伝ってもらうくらいだったから、最後に助走つけてダレンに飛び付くくらいしそうだけど、玉置メイソンは落ち着いた印象だからそこまでさせるだけの何かがあったか、どこかから飛び降りた結果、上から降ってくるように飛び付いたのかなと。

さすがに死亡説はオカルトっぽくて現実味がないので、「悲劇だった」の前後描かれていない間に何か別に大きな出来事があったか、ダレンが迎えに来てくれたことが嬉しくて飛び付いちゃったか。後者のがかわいいね。



○キッピー「ホモ野郎」直訳しない問題

 一見ネタパートとも受け取れるシーンだったけど、キッピーは「ホモ野郎」と訳すべき言葉を二回とも違う言葉で訳してるんですよ。

カワバタの通訳をしているのを見ても単に言語が理解できなかった訳ではないことが分かる。

なぜなのか。

まずひとつ目はスペイン語の「ホモ野郎」だが、これはマルチネスに向けられていた。

次の「ホモ野郎」はジェイソン。
この二人がもしかするとゲイであることを公表していないいわゆるクローゼットであることをキッピーが知っていた?

ロドリゲスはマルチネスがゲイであることを知っていて差別用語として「ホモ野郎」を使い、結果として一瞬揉めた。

ジェーソンはキッピー以外誰も知らず、ジェーソン自信もキッピーが知っていることを知らなかったために「ありがとう」と敢えて誤訳したのでは。



○指輪をはめる指変わった?

 初演のラストは曖昧だな~と思ったことだけは確かなんだが、もしかすると初演は指輪を左手薬指ではなく中指にはめていたような気がする。

そして今回の再演、私が観た回はすべて左手薬指にはめていて、それをメイソンが嬉しそうに見つめている。

ということは、少なくとも今回のラストはどんな形であれダレンとメイソンの想いが通じあったのかな。

しかしそこで疑問として浮上するのがやはり最後の「悲劇だった」。

あんなに幸せそうなのに、なぜメイソンは一人球場に残ったのか。

TMOは良い意味で間が目立たない舞台だから、一見球場で一人語りを始めたように見えたけど、実はそこには見えない間があって時間がある程度経過したいたのかもしれない。

最終的にダレンが迎えに来たけど、それはパーティー中ではなくもっと後のことなのでは?

「春まで何をしよう」の「春」が単純に次のシーズンを指しているのかも定かではないし、あんなに言葉で構成されていた舞台なのに、ラストについては多く語られないのがまた難しい。



○「あれはおまえのことじゃなかった」真実説

 シャワールームでシェーンがダレンに取材で批判したのは「おまえのことじゃなかった」と言ったシーン。

苦し紛れの言い訳に思っていたが、本当のことしか言わない(うろ覚え)シェーンがそんな嘘をとっさにつけたのか?

これがもし真実だと仮定するならば、あの取材の時シェーンは誰について言っていたのか。

そもそも今彼はどこに住んでいるのか。グループホームのようなところにまだいるならば潔癖症のシェーンが帰宅してからもシャワーを浴びている可能性がある。

そこにゲイがいるという可能性だって捨てきれない。もしくは、ダレンの他にチームの中でゲイがいたのではないか。

前述でマルチネスとジェイソンが怪しいと考察したが、マルチネスはクロスのネックレスをしているということからデイビーと同じ思想を持ったキリスト教信者説が浮上。

残るはジェイソンだが、十分な説明をせず握手を求めた描写を同類意識と取るか表面では理解したように見せかけるための行動と取るかで彼のゲイに対する認識も変わってきる。

しかしジェーソンはダレンと握手した手を拭っており、握手は心からのものではなかったことが受け取れる。

キッピーがトッディに対して話していたところに「俺に話してたんだよね?」と割り込むシーンも単に変なやつだなぁで終わらせるには引っ掛かるものがある。



○ジェイソンについて

 カミングアウトしたダレンと打ち解けようと「今だから」話しかけたジェーソン

ダレンの高慢な態度を見るまではジェーソンはダレンを同じコミュニティの仲間だと思っていたのではないか。

しかしダレンは自信家のナルシスト。カミングアウトをしたからといって差別を一切恐れていない。

クローゼットのジェーソンはその態度を良く思わず、表面上は理解を示したもののダレンをコミュニティの仲間とは認めなかった?

メイソンが「私はコミュニティに入れてもらえない」と話していたこともあり、コミュニティへの加入条件はゲイであることだけではないらしい。

メイソンがなぜ入れてもらえないのかも気になるところ。




○メイソンはなぜコミュニティに入れてもらえないのか

 彼の住まいはチェルシーで、物理的な居場所はコミュニティの中と言える。しかしメイソンはコミュニティの下にいるという。

それはメイソンに何らかの排他される要因があるからなのではないか。

病気か、過去に誰かと持った関係によってか

考えたらきりがないが、コミュニティって結構簡単に追い出されるものだと思っているので、まあなんかあったのかもしれないね。
 








メイソン役の玉置さんがツイッターで正解を提示しないようにしてる?的なことをおっしゃっていたんですが、正直演じている側の正解を提示してほしい。

こちらとしては観るたびに解釈が変わってそれはそれで楽しいんですが、私が考えるのは大抵いつも真実にたどり着きたいからなんですよ。

まあ実際、何事も正解があるとは限らないし、正解は毎回変わっているのかもしれませんよね。

観た人の数だけ正解がある

わかりますよ、わかりますけど、とりあえず作り手のお考えを少しでも知りたいのでDVDには是非ともコメンテータリー的なやつを本編の5倍くらい入れてほしいです。

何はともあれ再演で加わったラストが毎回「浴びた~~!!!」って気持ちにさせてくれるので、TMO再演まじで最高でした。

またエンパイヤーズのロッカールームへ行ける日を楽しみにしています。

テニス出戻りと最近の話

六角は一応観に行ってたんですが、
多和田くんのドリライゲスト参戦をきっかけに完全にテニスへ戻って参りました。

住み着く畑はなるべく少なくしたいと思っていたのに、
ドリライで菊丸の汗が弧を描いて飛び散るところを見てしまい、見事にやられました。

当たり前ですが、うわっ汗かくんだ~~!!と。

だって彼いつも同じ表情だったじゃないですか。
てっきり口元動かせない呪いにでもかかっているのかと思ってた。

後々ちゃんと調べたらまだ全然若くてびっくりしました。
おばさん顔が能面みたいだなとか失礼なこと思ってたよ。ごめんよ。


3rdでは特に六角がかわいくて最高です。
いっちゃんが最高にかわいい。

あと首藤役の千葉くんの顔が好きです。さすが仙台産ジュノンボーイ

しかし推し校は青学なので、現青学からは目が離せません。

それにしても関東立海の菊丸がかわいい。

常に120%の力で動いてる感じが良い。
フリスビー追っかけてる犬みたい。かわいい。
飼いたい。

六角公演での息切れも解消されていて良かったけど、
強いて言うならもう少し黄金営業をしてくれてもいいんじゃないかと思います。

今のままだと菊丸のペアは不二か越前って感じがします。

オタクのわがままとしては、何かあったらまず大石のほうを見てほしい。
いつも二言目には「大石!」って出るくらいのノリで生きてほしい(無茶ぶり)。

でも劇場行っちゃえば

「せーちゃんその解釈完ペキパーペキパーフェクト👍👍💯」

ってなるのでもう引き続き頑張ってくださいとしか言えません。

せーちゃんのクソオタになりたい人生だった。


あと見逃せないのが手塚国光ですね。
いや~解釈違い(でも大好き)。

解釈違いと言っても、
「原作ちゃんと読み直すまで舞台に上がってくんな!!!!」

という時と、

「そういう考えもあるよね~!新たな一面見られた☺」

という時があり、手塚は後者なのでオールオッケーです。

なんなら宇野さんはノリでイベントチケット取るくらいには大好きです。

ちゃんとしてそうで。

あと関東立海の数少ない手塚登場シーンで毎回フフッてなるのが、
九州で不二の危機を察知するシーンです。

絆で結び付く中学生男子は海(国内だけど)を越えても仲間の危機を察知できるものなんだなぁ…

心配性(?)な手塚もありですね。



もうこれ書き続けたらきりがないですが、
キャラ解釈が最高と言ったら青学2年生の二人です。

桃城に至ってはもはや生まれながらに桃城だったんじゃないかと思えてきます。

あと単純に顔が好きです。笑顔が素敵。

海堂はかわいい顔に対して声が低くてかっこいいですね。

あとこれは実際どうなのかは知りませんが、
キャラをちゃんと作り込んでくれてるなという感じがします。

しかし牧島くんほんとかわいいですよね。

私がもし牧島くん推しなら彼が今後何をしようが推し続けられる気がします。

まあ今のところ推す予定はないんですけど。

長くなるのでもうそろそろやめますが、
生意気じゃないトリオとか天使みたいなリョーマとか含め、
今のところ現青学箱推しです。

みなさんどうかSNSの利用法に気を付けながら、
なるべく長く青学でいてほしいです。


あと六角公演のバクステがどこぞの学校のバクステかよみたいな出来だったので、
できればもっと青学のわちゃわちゃっとした感じが楽しめるコンテンツがほしいです。

チームパーティーはどうなることやらって感じですが、
とりあえず楽しいことだけを視界に入れておこうと思います。


最近多和田くんの露出が少ないので違うところに手を出しがちですが、
テニミュの3時間6000円ってほんと安い。

30分1000円で幸せになれるのすごくないですか。

オタク友達にも勧めるなら8800円の舞台より6000円のテニミュの方が絶対勧めやすい。

なにかにはまる時は一人より誰か一緒のが絶対楽しいと思っているので、
なんとかして一人でも多く仲間を引きずり込みたい。

とはいえそろそろ幽劇も近づいてきているので、頭をシフトチェンジしなければですね。

まさかキャスト先行で出た席全部が一階後方と二階席だとは思わなかったので、
席配分した人にはオタクちょっとアングリーです。

まあ多和田くんが出演するという揺るぎない事実があるので普通に楽しみですけどね。

日本青年館も新しくなったし。

今年の夏はオペラグラスさばきがさらに上手くなること間違いなしです。

ちょっと領地開拓した

 

 個人的にめちゃくちゃ応援している俳優の多和田くんが、今度同じ事務所の小松くんと合同でイベントをやることになった。その名も「弥会」。なんといい名前。せっかく弥会へ行くからには多和田くんだけでなく小松くんのこともしっかりと知って、万全の状態で二人を応援したい。そしておそらく小松くんのことを知るためには「ツキクラ」なるものは避けては通れないだろうと思い、私は調べ始めた。

そもそも「多和田と小松のファンサイト開設するよ~!」と言われたその日に彼の情報を血眼で集めた過程において、この子なんかのグループに参加してるな~くらいの認識は持っていた。しかしツキクラ周辺には「ツキプロ」だとか「ツキチャ」だとか、他にもツキなんちゃらという言葉がたくさん散らばっている。それだけでもややこしいのに、そもそもツキクラの「クラ」ってなんだよと疑問に思った時点でそれ以上掘り下げることをやめていた。

 しかし弥会まで三週間を切った頃、それまでなんとなくリアルタイムの活動を追っていた小松くんの好感度は鰻上りに上昇、「あっ推せる」と思うことが多々あり、丁度多和田くんのリーディングも終わることだしこれは本格的に調べ上げなければと思い、私はツキクラの「クラ」の正体を探るべくスマホを手に取った。

 

ところでツキクラって

 どうやらツキクラとは声優の集まりらしく、「彼らを知るにはまずツキチャを見ろ」との助言を受けたため「ツキチャってなんだよ…」と思いつつもなんとか「ツキプロチャンネル」の略だということにたどり着いた。さっそくdアニメストアに登録して2クール分すべて視聴したので、そこで得た情報をざっくりとまとめてみる。

 

〇ツキプロ

2.5次元に存在する架空の芸能事務所「ツキノ芸能プロダクション」の略。いろんなアイドルグループが在籍している。「ツキプロチャンネル」ではその中の人達がグループごとにコーナーを持っている。

 

〇ツキクラ

オーディションで勝ち抜いた13人の新人声優グループ。なんかアニメイトソニーの合同プロジェクトらしい。実際の所属事務所は人それぞれ。「ツキクラ」は「ツキノ クラウド」の略。彼らが彼らとしてグループ活動しているのが「ツキクラ」(三次元)で、後からついたキャラクターがそれぞれグループを組んで活動しているのが「Rigel(リゲル)」、「Regulus(レグルス)」、「サルガス(スペルがわからない)」(二次元)。

 

〇劇団アルタイル

 キャラクター(二次元)の彼らが所属している架空の劇団。リゲル、レグルス、サルガスが所属している。この辺は私もよくわかっていないのだが、つまり小松準弥くんが所属しているのは「ツキクラ」だけど、小松くんが声を当てている渋谷ヨウスケくんが所属しているのは「劇団アルタイル」であり「リゲル」ということだと思う。たぶん。

 

〇ツキクラ裏語録

 アニメイトのサイトで配信されている一話15分~20分くらいのネットラジオ。毎回23人のメンバーが配信日付近にあった出来事についてゆるく喋る。本当はツキチャの裏番組?的な役割を果たしていたようだが最近はそうでもない。

 

〇選挙

 昨年の夏に開催されたCDデビューをかけた選挙。ファンによるネット投票、イベントでの投票、そして偉い人からのポイントにより上位8人が選抜された。この偉い人だか組織だかからのポイントが含まれる時点で出来レース感が半端ないが、そこはあまり触れてはいけないようだ。しかし13人で切磋琢磨して頑張ってきたのに急に8人選び出すとか最高にエグイ展開である。

 

〇未来のPiece

 ツキクラ12人のデビュー曲。12人の。PVでは真っ白な衣装に身を包み真っ白なスタジオで踊っている。アイドルアイドルしすぎて初見はちょっと見ていてこっぱずかしくなった。

 

 このように選挙うんぬんの他にもわずか結成1年にも関わらずメンバーが燃えたり脱退したりとなかなかの闇深さをちらつかせているが、声優業界はこういうものなんだろうと適当に解釈している。

要約すると新人声優がグループ組んで頑張ってる集団、それがツキクラである。

 

メンバーについて

 もともとは舞台俳優だった人やモデルをやっていた人など、単純に声優グループというわけでもないようで、こちらもなかなかややこしい。「あなた別に声優目指しているわけじゃないよね!?」という人も結構在籍しており、「歌もダンスも演技も全部やったるぜ!」的なスタンスなのか、その辺はよくわからないがあまり気にしなければ特に支障はない。ということで、今現在持っているメンバーの情報や印象などをざっと書いていく。

※以下はあくまでも個人の意見のため時としてディスりが混入している場合がございます。もし彼らを応援している方で不快に思う方がいらっしゃいましたら直ちに記憶を飛ばしてください。

 

〇井上雄貴【RIGEL:市ヶ谷リンタロウ】

 メガネの子。元々は「ゼンザハリウッド」(正式表記が分からない)のメンバーだったらしいが、ツキクラに入ったのはそこを脱退してから。ツキクラ結成当初はパッと見で「オタクだな」とわかる見た目をしていたが、最近髪型を変えイケメガネ風になった。制作側にめちゃくちゃ推されている。解せぬ。ファンとの掛け合いで\イノエル眼鏡とって~!/\え~ムリエル~!/というのがあるらしく、それだけでちょっとムリエルだが喋っているのを聞いたら思ったより普通の人で安心した。オタクコミュニティ内なら案外モテそうだなと勝手に思っている。ツキチャ内での夏合宿で気のせいか同じ部屋のメンバーに馴染めていないように見えて、高校時代同じくオタクライフを送った者として心配になった。また、何回目かのツキクラ裏語録ではオタクが一生関わることのない人種ナンバーワンあらしゃんと二人でのトークをするということで、聴いていて気が気じゃなかった。実際番組内でイノエルさんがスクールカーストだかヒエラルキーだかの話をしていて「そうだよね!!!!やっぱりそうだよね!!!」と心の中で首がもげるほどうなずいた。結果としては普通におもしろい回だった。

追記:リゲルのデビューシングルを購入して聴いてみたけどもしやこの人めっちゃ歌うまいんじゃない!?確かダンスも得意とか言ってたしあれもしかして完璧…?(手のひら大回転)

 

〇小松準弥【Rigel:渋谷ヨウスケ】

 衣装に袖がない。メンバー内でお兄ちゃんと呼ばれているがお兄ちゃんキャラかと言われるとそうでもない。彼は声優というより今のところ舞台俳優。たぶん声の演技より舞台上で体もしっかり使いながら表現するほうが向いている気がする。家族想い、メンバー想いでとてもいい子。トークをすると話のネタを投げ込むはいいが投げ込みっぱなし感が否めない。スタイル抜群なので踊ると華がある。将来の目標が一定して「母と祖母に家を買えるくらい売れる」ということ。一見具体的な目標にみえるがよくよく考えるとふわっとしてんなと思わなくもない。とはいえファンサイトで繰り広げられているマネージャー様のスタッフブログを読むと彼の見えない部分がめちゃくちゃ補完され、夢に向かってまっすぐ進んでいる途中なのだろうなと勝手に解釈して応援したくなるタイプ。ちょいちょい多和田くんと似ている要素があるのもまた良きところ。観劇態度がものすごく良い。剣道をやっていたという古風な一面もあればアパレルでバイトしていたというシャレオツな一面もあり、完全に光属性。まぶしい。弥会楽しみにしてるからね!!!

 

〇徳武竜也【Rigel:辰巳マキ】

 メンバー内でおじいちゃんと呼ばれている。彼はもとから声優志望。身長は180センチ前後あるらしいがそんなに大きく見えない。なんかむくむくしている。大らかな受け答えや話し方からものすごく良い人そうな印象を受ける。所属事務所の公式ホームぺージ内でサンプルボイスが聴けるのだが、最初の名乗りがあまりにも透明感がありすぎてめまいがする。かのMマスにも出演中とのことで着実に声優としてのキャリアを積んでいる模様。声が大好き。デビュー曲「Bresk It Down」で彼が「It’s show time」と言うところだけを聴くためにCDを買ったようなもの。デビューCDのジャケット絵で他のみんなは花束なのに彼が演じる辰巳マキくんだけ胸ポケットに一輪花なのが最高。辰巳マキくんも好き。現時点でイチ推し。めっちゃ好き。

 

〇松岡一平【Regulus:永田イツキ】

 犬キャラらしい。小さくて明るい少年感が半端ない。自由奔放だけど決して自分勝手というわけではなく、むしろ周りの事もよく気にしている様子。彼もおそらくもとから声優志望。市川太一さんと二人でパーソナリティを務めていた何回目かの裏語録で「この子はいないといけない子なんだろうな~」と思った。見た目のイメージより声が低い。歌もうまい。たぶん彼を嫌う人は滅多にいないのではないか(私論)。

 

市川太一【サルガスの不思議スェーデン】

 細い、白い、しかし元バスケ部。声の演技では負けたくないと思っているんだろうなという印象。実際ツキクラの中では演技力がある。まとめ役になることが多く、みんなでワーワーするというよりもその一歩後ろで話の切り時を見ている感じ。失礼ながら冷酷そうなイメージを持っていたのだが、前述のいっぺーちゃんとの裏語録を聴いてイメージがだいぶ変わった。彼も普通の若者だった。奥は深い。すでに色々出演しているし、ある程度までは確実に売れそう。白い。

 

〇菊地燎【サルガスのツンケンしてる子】

 最初市川さんとどっちがどっちかわからなかった。敬語が抜けない。カブトムシを飼っている。声がとても声優っぽい。彼もまたオタクで、陽キャとちゃんと関わっていけるのかと勝手に心配になっていたが意外と愉快な少年なので別に大丈夫そうだった。彼が声を当てているヒジリくんは声も合ってるしツンケンしていて個人的には結構好み。ダンスが苦手なのか踊り方がなんかズシズシしている。どうやら事務所を辞めて現在はフリーで活動しているらしく、もはや神頼みレベルでちゃんと運とかいろいろ彼に味方してくれることを願っている。姉がいることを「姉上がいます」と言うのがかわいい。お願いだから売れてくれ。意外とあらしゃんとも仲良くできているのが不思議で仕方ない。ぜひとも弟キャラを定着させてほしい。自分の置かれている現状を楽しもうとしているところが尊敬する。

 

筆村栄心【サルガスのかわいい子】

初見のラインライブで声の高さとキャラの濃さに驚いた。バリバリのかわいい系かと思いきやなんか船の免許を持っているらしく、かなりキャラ立ちしている。ヘアメイクのアシスタントもしているらしい。北海道出身。太鼓の達人が死ぬほどうまい。素かどうかは定かではないが喋り方がかわいい。スクールカーストの上から下まで幅広く仲良くできるタイプ。あらしゃんが懐いている。歳を召される前にもっと役のふり幅を広げてなんとか売れてほしい。筆村さんが撮った写真はなんかふわっとしている。シルエットが丸い。ポジションが蒼井翔太っぽいけどたぶん蒼井翔太よりマルチ。

 

〇大海将一郎【Regulus:要タツヒコ】

 ブログが意味わからない上にやたら長い人。かっこいい顔をしているがこれといった特徴がないためなかなか顔が覚えられない。ツキクラメンバーの集合写真で「誰だテメエ!!」と思ったら大体大海。声は低くて特徴的。初めて「未来のPiece」を聴いた時すごく好みの声の人がいるな~と思い確認したら大海だった。解せぬ。声だけが好き。彼の歌声を聴くためだけにRegulusのデビューシングルを買った。声だけならダントツで一番好き。燃えた。

 

〇糸川耀士郎【Regulus:神谷トウマ】

 歌がめちゃくちゃうまい。歌は誰にも負けねえというスタンス。顔がシュッとしている。「SHOW BY ROCK」に出るらしい。歌のこぶし回し(?)が某矢田様のデビューシングル三曲目の歌い方と似ている。

 

〇古畑恵介【RIGEL:大崎イズモ】

 あざとい。売れてやろうという野心が感じられて好感を持てる。かわいいキャラになりきれないことを本人も自覚しているところがグッとくる。しかし野心がすごい。彼を好きな人は確実に一定数いる。良くも悪くも耳にひっかかる声質をしている。ピアスがたくさん空いている。自分のことを「ふーくん」と呼んでいたと思ったら急に「オレ」と言った時には「こ…これか~~~!!!」となった。萌え。

 

〇西野太盛【サルガスの二世俳優】

 ボイパとブレイクダンスができる人。乃木坂に妹がいる。関西人。元ラグビー部。

 

〇荒一陽【サルガスのピンク】

 あだ名はあらしゃん。顔がすごい(褒めてる)。ツキクラオーディションで最後に呼ばれた時の勢いありすぎる返事と表情がとても良かった。しかしそれと同時にこの人ツキクラのコンセプト誤解してオーディション受けちゃったんじゃないかと疑った。正気かと。スクールカースト的にはオタクと永遠に分かり合えない階級にいらっしゃる方かと思えば、ツキクラオタキャラの皆さんともちゃんと仲良くて戸惑いを隠せない。なんなら筆ちゃんととっても仲良し。なんかの作品で共演しているからなのか知らないが、筆ちゃん、菊池くん、あらしゃんで仲良くしているのが不思議でならない。なんなんだこの人と見ている内に最近ではもはやかわいく見えてきている。頬にあるほくろがかわいい。筆ちゃんがツイッターに上げていたパンケーキ食べてる動画がかわいい。文末にやたらハートを付ける所がオタクには少々刺激が強い。文末にハートなんてウェイかスマホに慣れていないうちの母くらいしか付けない(偏見)。もしかすると見た目はギラついているが中身は結構フレンドリーでかわいい人なのかもしれない…?なんだかんだ割と推させてもらっている。

 

〇大島尚起

 脱退した人。燃えた。最年少。ダンスにかなり自信があったらしく、みんなで踊っていると良くも悪くもかなり目立っていた。オーディション終了後のインタビューで「一番やりたかったことなのでとてもうれしい」的なこと言っていたのに「諦めきれない夢があるから」とツキクラ脱退するとは何事か。夢見がちすぎてオタクはついていけない。選挙では選抜入りしていたにもかかわらずツキチャ二期ではいなかったことにされていてツキプロの闇を垣間見た。メンバーの中には13人であることをずっと大切に思って発言にも表していた人もいたのに、その彼が騒動からしばらくした頃「この12人で」と口にした時はさすがに悲しくなった。炎上はよくない。

 

まとめ

 「新人が切磋琢磨して夢に向かって突き進む!」みたいな企画ってよくあるけど見ていてとっても楽しいんですよね。基本的にはMIDD(まっすぐ一生懸命なら誰でも大好き)なのでツキチャのドキュメンタリーっぽい作りとか最高でした。何せ知らない作品でもメイキングとかバクステ見るくらいワチャワチャっとした感じが大好物なもので、お世辞にも上手いとは言えない演技とか自己アピールとかノーカットで見続けていたい。おそらく彼らはこれから「ツキクラ」として売れるというよりも、個人個人が違う方向性で売れていくじゃないですか。それってツキクラとしての彼らを見られる時間が限られているということですよね。その「今しかない」という限定的な感じも大好きです。しかしクラ劇総選挙も相変わらずエグイ仕様となっていますね。バックダンサーってそれもはやメンバーなのかよくわからん感じになるやつじゃないですか。こういう時って中心で歌ってほしい人は私が投票しなくても一定の順位は取れるなとか無駄な予想して、あえてギリギリそうな子に投票したくなりますよね。いやあ難しい。

 いやあ、ツキクラのメンバーみんなかわいいですね。みんな売れてほしい。本当に。とりあえず今後ともゆるく応援していこうかなと思います。

初心にかえる

高校時代、私は生粋の二次元オタクだった。1クールごとに見るアニメを熟考し、くじの発売日には雪で全交通手段がストップしている中、最寄りのアニメイトまで長靴をはき歩いて行った。特にとある乙女ゲームに陶酔しており、高校の家庭科の授業で何故か婚姻届を書かされた際には迷わず彼の名前を書いた。そしてそれを隠すでもなく、残りの高校生活、私のあだ名は彼の名字となった。今思うとなかなかに痛々しいものである。高校を卒業してからはある程度落ち着いたものの、そのゲームの舞台と言われる町へ出向き、彼の住む町にあるカフェと同じ名前のカレー屋へ行ったり、海辺に立って全力で思いを馳せたりもした。歳をとり落ち着いたようにも思えていたが彼への愛は全く冷めてなどいなかった。私のオタク人生の中で、あの頃ほどなんの悩みもなくただただ趣味に没頭できたことはない。私にとっての彼は、すべて私の中にいたからだ。彼は予想外のことを言うことも、することもない。それほど活気のあるジャンルではなかったため、滅多なことでもない限り新規ストーリーなどこない。年に一度のイベントで意外な一言が出ても、ここはオタクの見せどころ、脳内補正はお手の物だった。

高校卒業後、このゲームが実質植物状態のような状況に陥っていたこともあり、私はどこのジャンルにどっぷり浸かることもなく、ゆるーくオタクを続けていた。このままいけば私はパンピになれるかもしれないなんて、今では鼻で笑ってしまうようなことを考えたりもしていた。しかし転機が訪れたのは、大学に入ってできたオタク友達が、とある二次元原作の舞台が当たったから一緒に行こうと誘ってくれた時のことだ。原作は好きなジャンルではあったが、正直二次元の三次元化(当時は2.5次元という言葉自体を知らなかった)には良い印象がなかった。乗り気ではなかったが、「批判するにしてもまずは見てみなくては」くらいの気持ちで、私は例の舞台を観に行くことにした。

 

そこから今までは早いものだった。初めて観た舞台の音楽や演出に衝撃を受け、慌てて出演者について調べ、その人達が次に出演する舞台のチケットを軽率にとり、そこで見た俳優について調べ、またチケットを軽率にとりの繰り返しだ。大した趣味がなかったためそこそこあった貯金を使い、ストレートもミュージカルも関係なく、ただ気になる俳優や舞台のチケットをとっていた。ただ、今こうして苦しく楽しく趣味に没頭していられるのはすべての運とタイミングが良かっただけなのかもしれない。例えば今狂ったように推している俳優を二度目に観に行った時、もしあの時あと数日遅ければその公演は千秋楽を迎えていた。その次の公演がもし落選していたら、ここまでは推していなかったかもしれない。そう考えると、降りたい降りたい言っていられるうちが幸せなのかもしれないとさえ思えてくる。だって本当に降りるときは考える隙もなく降りるのだろうから。

 

前置きにしては長すぎる自分語りをつらつらと書いてしまったが、ここで初心にかえるべく、舞台や俳優にハマってすぐの頃、何に衝撃を受け、何に感動したかについて思い出していこうと思う。

まずこれは言うまでもないくらい当たり前なことだが、彼らがみんな「生きている」ということだ。これには本当に衝撃を受けた。某乙女ゲームではまるでキャラクター達が同じ時間軸で生きているかのようなツイッター企画が時々行われているが、それはあくまでも「運営側」の徹底された作り込みの成果だ。こんなことを言うとそのゲームファンの友人におもいきり殴られそうだが、どうしても裏側が気になってしまうのだ。しかし、俳優達は生きている。リアルガチで生きているのだ。意味が分からない。私が日の入りを確認したその瞬間、彼らの世界でも日の入りが確認されるのだ。絶対起きていないけど。そもそも彼らの世界とかそういう概念はない。同じ世界線上に生きているのだから。重ね重ね言うが、私がランドセルを背負っていた六年間のうちの数年、推しやたわだもまたランドセルを背負っていたのだ。ランドセルを背負っていたのだ‼!!これを実感した時ほどこの時代に生まれて良かったと思ったことはない。この空の下のどこかで彼らは生きているんだー!!!と、模範的すぎることを毎日毎時間考えていたものだ。なかなか愉快なものである。

この喜びを、最近私は忘れがちな気がしている。応援している俳優に仕事さえあれば、あとはこちらががんばればその姿を裸眼で確認することができる。この状況が当たり前になってしまったからだ。もちろん空を見上げて都心にいる俳優に思いを馳せるよりかは、入れる限り現場に入ったほうが生産性のあることをしていることに変わりはない。ちなみに「現場に入る」ことについては後で触れたいと思う。兎にも角にも、私は俳優が同じ人間であるという事実に対するありがたみを忘れているのだ。誰にありがたがるんだよという話になる気もするが、そこにはあえて触れないでおく。

高校時代大好きだった彼は、私が何をしようが会える場所なんてせいぜい夢の中だった。つまりはいないのだ。自分で言っていて悲しくなってきたが、彼はいない。いないとはなにごと…!!?

とはいえ、「生きている」ということに関して取るに足らないことではあるが、ちょっとしたデメリットも感じている。それは彼らがオンリーワンということだ。今まで私はどんなにそのキャラクターを推していても同担拒否という概念を持つことはなかった。私の彼は私のPSPの中にいるのであって、他の人のPSPの中にいる彼は彼であって彼ではない。イベントで大スクリーンに現れる彼はその集合体なのだ、という、とんでも理論のもと愉快なオタクライフを送っていた。しかし、俳優達は若干の意識操作はされている気もするが、こちらがどんな人物像を想像しようと彼ら自身の性格は変わらない。そしてそのワンパターンの彼しかこの世界にはいないのである。ワンパターンというと薄っぺらさが出てしまって語弊があるが、ようは正解が一つしかないということだと思う。よくわからないけど。したがって私は、推しがSNS上で「彼はこんな子!」と言い切られていると多少苛立つ。おまえは一体何をしってるんだよと。もちろん私も何もしらない。推しに関してはマジでなにも知らないわからない。次に出るであろう言葉なんて予想しようものなら真反対の言葉が出てくる。意味が分からない。それでも言い切られているところを見ると、推しの可能性をそこで止められているような、または推しの二次創作を見せられているような気分になるのだ。二次元の二次創作はガンガン見ていたので大体のものは許容できるのだが、存在しているものの二次創作は昔から本人に対して申し訳なくなり苦手としている。まあ趣味嗜好は人それぞれなので、私がそっとブラウザバックすればいい話なのだが。

 色々書きはしたが、これからも彼らが同じ時間軸で生きている事実を噛みしめ、尚且つ彼らの勇姿を生で見るべく現場には入れる限り入っていこうと思う。

 

 次に「現場に入る」ということについて書いていく。こちらは理想や夢だけでは語れないことだが、とりあえず書き進める。舞台や俳優を趣味とすると、ゆるゆると二次元オタクをやっていた時より何倍もお金がかかる。これはたびたびきつい状況を生み出す要因となるが、こればっかりは仕方がない、それが社会の仕組みなのだ。とはいえ、「彼らのために舞台を観に行ってあげている」と思ったことは一度もない。私が彼らや彼らの出演する舞台を観たいから観に行っているのだ。私は常日頃から彼らの勇姿を見て力をもらっている。時々映画を観に行くとそのクオリティの高さとコストパフォーマンスの良さに惹かれ、自分は何故この趣味を続けているのかと自問自答をしてみたりもするが、それでも再び舞台を観に行けば、なんてすばらしい趣味を持ってしまったんだろう!!この世界に感謝!!となってしまう。我ながら単純明快な頭をしていると思う。話はそれたが、この界隈にハマった当初、「お金を払えば裸眼で観られる」という状況に感動していた。ゲームの彼はいくら金を積もうと会える場所なんて液晶画面上かせいぜい夢の中である。得意の脳内補正で足りない部分を補いはするが、私も一応現実世界の住人である。できることなら液晶画面を突き破らなくとも推しに会いたい。それが簡単に実現できてしまうことが、とびぬけて嬉しく感じていたことを今でも鮮明に覚えている。いやあ嬉しかったー。

 

嬉しかったことばかり挙げてしまったが、はまってから結構時間が経った今でも一つ心配に思っていることがある。それは、私が二次元オタク故に俳優達を一つのキャラクターとしてとらえてしまうことだ。人間である限り、漫画やゲームのキャラクターのように「○○キャラ」というくくりで判断することは難しい。もちろん俳優や事務所が「自分は○○キャラで売っていこう」という信念でも掲げているのならそれはそれで別にいい。「公式は至高」だ。しかし、「彼は弟キャラだから~」とか、「ツンツンしてるよね~」だとか、ひとつのくくりで彼らをみることは、もしそのイメージと異なる姿を見てしまったとき、彼らは何も悪いことなんてしてないのに(してる場合もある)、勝手にイメージダウンし、ショックを受けることになる。それはさすがにあんまりだ。できることならそれは避けたい。したがって、なるべく、本当にできる限りではあるが常に応援している俳優達はどんな人間なんだろう、こんな時どんな言葉を言うんだろうと、探求心とまではいかないが気にして気にして気にしまくるようにしていたい。俳優ファンでいるにあたって、そこまで彼ら自身のことについて深く考える必要はないのかもしれない。それでも気になってしまうものは気になってしまうので、おそらくこれが私の俳優応援スタンスなのだろう。

 

今きっと、私が応援している彼は俳優人生のターニングポイントに立っているんだろうな。そんなことをぼんやり考えていて、どうも落ち着かなかったので初心に帰るべく書き始めたこの自己満足レポートだが、やっぱり今の趣味はいつでも新鮮さが隠れていて楽しいなと思えるようになったので、長くなったが書いてよかった。手元のチケットがすべてもぎられるまでは絶対に死なないぞと思えることは、精神衛生上はともかく生きていく上では結構いい考えなんじゃなかろうか。

応援している若手俳優の呼称使い分け

はじめに

 俳優ファンをやっているのならば、彼をみるために劇場に通い、イベントに参加するために同じカレンダー、写真集を複数冊購入した経験があるだろう。もしあなたが「同じ物を複数冊買った経験はさすがに…」と思っていたとしても大丈夫、遅かれ早かれそんな経験をすることになる。では、一般的な生活を犠牲にしてでも会いたい、応援したい彼らのことを、8800円のチケット代はなんのためらいもなく払えるのに、880円のランチ代に多少のためらいを感じるあなたは何と呼んでいるか。「推し」?それとも「応援している人」?私は無意識の内ではあるが、応援している俳優の呼称を使い分けている。その使い分けの基準の有無など、そんな彼らの呼称について考察していく。

 

「推し」

 抽象的な話をしてもわかりづらいので、今回は私の「推し」を例に挙げて考察していく。

 私の推しは現在21歳、正統派イケメン俳優というには及ばないが、それでもかわいらしい顔をしている。近年の2.5次元舞台では「とりあえずこいつを起用しておけば当たる」という風潮でもあるのかと思うほど仕事が詰まった売れっ子である。だからといって、演技、歌などすべてが完璧!というわけではない(私論)。まず、彼の声はよく言えば特徴的、ハスキーだ。しかし悪く言うならば常に喉がつぶれているのかと思うようなガサガサとした声である。彼はそれが地声であり別に喉をつぶしてしまった訳ではないというが、体の中で一番弱いのは喉だとも語っている。仮にも舞台俳優なのだからその声なんとかしろ、腹から声出せ、と思っているが、こればっかりは本人の行動次第なのでどうしようもない。

 前述のように、私は推しのことを盲目的に好きというわけではない。むしろ好きなところよりも批判的な言葉のほうが多く出るくらいだ。ではなぜ推しているのか。なぜ。なぜなのか(困惑)。

私の「推し」に対しての感情が大きく変化するのは、いつも決まって彼を「観に行くとき」だ。前アナウンスが流れ劇場の明かりが落ちるその瞬間まで、もちろん楽しみではあるが、この公演と一つ前に観に行った公演との間に知った彼の良くない噂などが頭をよぎり、今日はちゃんと楽しめるか、この公演が終わったら推しから降りよう、と割とコンスタントに考えている。それでも舞台上に推しが現れた瞬間すべての邪念が消滅するのだ。公演中もその日の喉の調子や動きの良し悪しを気にかけてはいるが、ただ純粋に「来てよかった」と思う。推しが汗を流しながら演じ、歌う姿を永遠に見ていたい。なんなら24時間密着した映像がほしい、いや所持品になって持ち歩かれたい。ハリーポッターの透明マントを被ってアイアシアターの鏡横にたたずんでいたい。もちろんそんなことはしないが、とにかく彼をみることで私は最高の幸せを得ている。彼にはおいしいごはんを食べて、なるべく楽しく暮らしてほしい。そう願ってやまないのである。

 ただ、推しに対しての考え方で一つだけ誤解しないでほしい点がある。私は推しを「みていたい」のであって、決して「会いたい」訳ではないのだ。よって某刀のミュージカルでのファンサも別にいらないし、お見送り会も私の妄想かと思うほど楽しかったが、それは推しの反応を貰えたからではなく別の理由がある。また、写真集イベントでは三冊券を購入したが、別に一緒にチェキを撮りたいから買ったのではない。私は推しの人生の一瞬を切り取ったチェキが欲しかったのだ。それに推し以外が写っていようがいまいが関係ない。ただちょっと口角が上がったかわいい顔をした推しさえ写っていれば満足だったのだ。ここまで書いて自分でも苦しい言い訳に見えなくもないなと思っているが、どうか信じてほしい。私は推しを「みていたい」だけだ。極端な話をすれば、私は推しと付き合いたい訳でも、知合いたい訳でも、まして認知されたい訳でもない。許されるのならば毎公演紙袋を被って最前で観劇したい。私にとって推しは人間であって人間ではないのだ。それは私の推しの売り方やファンサの仕方に他の俳優とは変わったところが見られるのもひとつの原因だろう。もちろん推しのことは応援しているし、私はまぎれもなく彼のファンだ。赤の他人への感情とは思えないほど彼の幸せを願っている。接触イベントがあればどんな手を使ってでも行くが、それは私が彼の人生の一部を少しでも長く見ていたいからだ。その際は「私は記憶の片隅にも残らないから安心しろ」と自信に念じをかけ、自らの精神と戦いながらイベント会場へ向かい、抜け殻となって帰ってくるのである。

 以上のことをまとめた、私が推しに対して持っている感情は

 

・ニコニコと幸せに暮らしてほしい

・直せるものは直してほしい

・レスポンスはいらない仕事ぶりで返せ

・私を人間として認識しないでくれ

くらいだろうか。

私にとって「推し」とは「別次元」に存在するもので、彼を見ている間はすべてを忘れて楽しむことができる、いわゆるディズニーランドのような存在なのだ。ディズニーランドの裏事情は知りたいようにも思えるが、夢を壊されるような気がして知りたくない。期待と不安、抜け出したいようで抜け出したくない、そんな複雑な感情を、私は推しに対して常に抱いているのである。

 

「応援している」

 (「推し」と「応援している」を分けると推しは応援していないみたいになるが、そんなことはない。宇宙一応援しているから程よくつらい思いをして大人になってくれ推し。)

 こちらも前述のとおり抽象的すぎるとわかりづらいので、今回はみんな大好きたわだひでやくんを例に挙げ考察していく。

 たわだくんは関西弁がかわいい22歳の長身イケメン若手俳優だ。このようにたった一行弱書いただけでもわかると思うが、わたしは「応援している」人のことは盲目的に褒めちぎる事が出来る。これは人にもよるだろうし、推しのことは盲目的に褒めちぎることができても、応援している人のことは好みではあるがべつにそこまで好きじゃないという人は一定数いるだろう。別にそれはいい。とにかくたわだくんのことを全力で応援しているし、どんな時も安定して彼の活躍と幸せを願っているのだ。

 私が「応援している」と思うにあたり、まず一番に重要視するのが彼らの人柄である。気になる俳優を見つけたらまずインターネット上でみることができるブログや過去の活躍をかたっぱしから調べ上げ、彼らの言動や趣味、家族構成を知る。それをすることで多かれ少なかれ彼らの人柄が見えてくる。しかし、彼らも俳優なのだから世に出ている発言に嘘が含まれているかもしれない。実際「綺麗ごとすぎる」と感じた言動もあったような気がする。それでも彼らの周りの人が彼らに接するとき、彼らが家族の話をするとき、その印象がたとえ模範的ないい子でなくても、なにか惹かれるものを感じる。そこからもっと彼らのことを知りたいと思い、次第に彼らのことを全力で応援したいと思うようになるわけである。

 ここまでは「推し」への姿勢と似通った考え方が多くある。しかし、違うのはここからだ。まず、わたしは応援している人へ感謝の気持ちを伝えたい。その伝え方はファンレターでも、イベントなどで直にでもよい。常日頃からあなたの活躍で私は笑顔になり、元気になっています、本当にありがとうと伝えたいのだ。また、伝えたいということは少なからずレスポンスを求めていることにもなる。私が感謝を伝えることで、彼らもまた頑張ろうと思ってくれたら。そう思っているのは確かである。

 次に、これは応援している人でも種類を細かく分けたいのだが、例えばたわだくんならば現世で徳をガン積みして来世で結婚したい、たわだくんのような息子の母親になりたい、なんなら周りをたわだくんのような人で固めたいとすら思っている。このように私は、来世ではあるが応援している人と接点を持ちたいと考えているのだ。だからと言ってこれらを現世ですべて成し遂げたいとは思っていないし、恐れ多くてそんなことは思えない。現世の私はただのファンで充分だ。このように、あまり実感はないが、私は応援している人のことを同じ人間と認識しており、尚且つ同じ次元に生きていることもちゃんと理解している。これが「推し」との大きな違いの一つではないかと考える。

 以上のことから、私が「応援している人」に対して持っている感情は、

 

・常日頃から応援している

・安定的に「好き」という気持ちが途絶えない

・元気をもらっているので元気づけたい

・彼らの行動を盲目的にほめることが出来る

                      といったところである。

 また、言い忘れていたが先ほどから「彼ら」と表しているように、私には応援している人が複数人存在する。そのすべてを平等に応援しているわけではなく、観に行く舞台に偶然出演していたら「○○さんだー!」と思う程度から、舞台に主演することが決まった瞬間から狂気乱舞し様々なインタビューに涙を流す程度まで、応援の仕方は様々だ。また、現在の推しも思い返してみれば「応援している人」だったような気がしなくもないため、「応援している人」がいずれ「推し」になる可能性も完全に否定することはできない。否定はできないが、できればなってほしくはないと思っている。

 

まとめ

 この自己満足レポートを書き進めるにあたり、自分でもよくわからなかった「推し」と「応援している人」の違いについてわずかではあるが核心に迫ることができたように感じる。最後にもう一度これらの呼称の基準について振り返ることとする。

「推し」

・推しを見ているときと日常生活のなかで推しを思い出した時の感情の落差がすごい

・推しは「薬物」「ディズニーランド」

・存在認識はしないでほしい

→推しは特別であり布教などもっての外、同担との意思疎通は困難、触らぬ神に祟りなし

 

「応援している人」

・安定的に大好き、応援している

・会いに行きたい

・人に薦めたくなる魅力を持っている(と思っている)

→良さを共有することができる、穏やかさを保ちつつ応援できる

 

このように呼称の基準について考察してはみたが、最後にこれだけは言っておきたい。私は「推し」のことも「応援している人」のことも変わらず応援しており観に行きたい、それにあたって使用する金銭に対する感情には大差ないのだ。そして私は「推し」や「応援している人」に感謝してもらうために観劇をしているのではない。私が観たいから、彼らの収入に少しでも貢献し、おいしいごはんを食べてほしい、彼らの夢や目標を実現する姿をみせてほしいから観劇しているのだ。この趣味はコストパフォーマンスが最悪だ。そして時に裏切られたような気持になることもある。それでもやめることができない、やめられないだけの楽しさや高揚感が、そこには詰まっているのである。

 

 ※これまでに書いたことはすべて主観であり、万人に当てはまるものではないことを最後に言うのも何だがご了承願いたい。